デイトレの初心者って、どんな人を指すと思いますか?
口座を開き、資金を振り込んで、注文ボタンをポン!
まぁ、これは無理も無いとしましょう。
未経験者にいくら
「注意しましょう」
と呼びかけたところで限界はあります。
でも遅かれ早かれ痛い目に合って、何らかの作戦の必要性に気が付きます。
そこで書籍等を読んでテクニカル分析の存在を知り、
「なるほど!」
と喜び勇んで使い始めます。
ボリンジャーにハマったかと思ったら、移動平均線の組み合わせに目が移り、オシレーター系とトレンド系指標の間を行ったり来たり、更には一目均衡表に凝ってみたり、フィボナッチに聖杯の影を見たりもします。
そして繰り返すデイトレは凸凹凸凹凸凹(プラスとマイナス)の繰り返しで、たまに大きく負けると街のパチンコ屋みたいに台(手法)を総入替して新装開店(心機一転)したりします。
そしてまた凸凹凸凹凸凹・・・
多くの個人トレーダーは上記の繰り返しを、
「初心者時代の訓練」(=必然的なもの)
と理解して頑張ります。
と、ここまでが、自身の経験も含めての「初心者」のイメージです。
こうした初心者は、
「いつかは自分も狼トレーダーになれる!」
と信じ、自分で「良かれ」と思う訓練を続けます。
が、これって本当に訓練って言えるのか大いに疑問です。
というのは訓練というものは、対象が定まっていて、
同じ事を繰り返す事で上達していくもの
だからです。
確かに「デイトレしている」と言う事はできるでしょう。
でも、個々のデイトレ結果に一喜一憂して、コロコロと枚数を変えたり指標を変えたり、エントリーや損切りのロジックを変えたり、要するに
「やり方=手法」
を変えていて本当に、
「デイトレの訓練をしている」
と言えるのかどうか?
例えば「大道芸で生計を立てる」という事を考えてみて下さい。
一口に大道芸といっても、パントマイム、ダンス、手品、楽器、曲芸等様々な種類があり、そのどれか一つの種類の中にも多種多様な「芸」が存在しています。
自分で選んだ「一つの芸」を熱心に訓練して、人に感動を与えられるようなレベルになって初めて「稼げる大道芸人」になれます。
昨日は綱渡り、今日はブレイクダンス、明日はトランプ手品・・・
毎日のようにコロコロと訓練対象を変えていては、何年訓練を続けたところで
「大道芸で生計を立てる」
という目標に少しも近づけていない事は明らかです。
でもデイトレとなると、とりあえずエントリーしてエグジットして損益を確定させれば
「デイトレした」
という事にはなるので、
「今日もデイトレの訓練をした。明日も頑張るぞ!」
みたいにポジティブ思考で、初めは意気軒高なのですが、実は何も訓練になっていなくて、進歩が止まったまま資金を消耗させていって、遂には退場というパターンを歩む人がとても多いのです。
退場してしまうデイトレーダーの殆どがこのパターンと言っても過言ではありません。
気がめいるような話で、申し訳ありません。
でも訓練の意味を誤解したままでは、何年続けたって上達はできないのです。
その事を説明する為の「前説」ですので、ご容赦のほど・・・
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