世界的にも超有名な科学者が「神は妄想である」なんて言うからには、何かそれなりの事が書いてあるのかと思ってしまいますが、その期待は100%裏切られる本です。
ドーキンスは、神が妄想である事を科学的に論じるつもりなどサラサラ無く、彼は単に神など存在しない事を全ての前提にしているにすぎないのです。
例えばP.180、
なぜなら、設計者という考え方自体がただちに彼(神)自身はどこから来たのかというさらに大きな問題を提起するからである。ウマノスズクサ類(あるいは宇宙)のようなありえないものを知的に設計する能力のある何者かは、そのウマノスズクサ類以上にありえないものにちがいないだろう。神は無限の退行に終止符を打つどころか、事態を著しく悪化させるだけなのである。
500ページ以上の大作ですが、どうせなら
「私は神などあり得ないと考える」
とだけ書いて、あとは白紙のままの方が読者の時間を無駄にさせないだけ良心的だと言えるでしょう。
P.240以後は宗教の起源だの、道徳の起源だの、宗教からの逃走だの、彼独自の宗教論(=宗教批判)が延々と続くのですが、神の存在しない事を前提とする人間が宗教についてあれこれ書いたところで、どんな意味や価値があると言えるでしょうか?
例えば自他共に認める100%の音痴人間が
「ベートーベンの音楽は雑音である」
という本を書いたとして、それにどれほどの意味や価値があるでしょうか?
「宗教」は人間が作ったものですから、人間と同じくらいに沢山問題がある事は認めざるをえません。(といっても、これは神の存在とは無関係な問題です。)
しかし、神の存在しない事を前提とする人間が宗教をいかに語ろうとも、それは音痴の音楽論と同等に価値の無いものです。
ただ、ダーウィン的進化論を非難するマイケル・ベーエの「還元不能な複雑さ」に対して反論を試みている部分は「もしかして?」という期待感があって、この本の最高の読みどころではありました。
しかし、細菌の鞭毛モーターの前駆構造物としてTTSSなる生物的ポンプの存在を紹介したまでは良かったのですが、TTSSの「還元不能の複雑さ」については一切語らず、またTTSSと鞭毛モーター間のギャップをどう埋めるのかも一切語らず、ただ、
もちろん、研究によって明らかにされるべきことはもっといっぱいあり、私はそれがなされるだろうと信じている。(P.198)
と締めくくっているのです。
生物学者である彼が「神は妄想である」という事を論じたいのであれば、自らが心酔するダーウィンの漸進的進化論を裏付ける論証をすれば事足りる
(=欠陥だらけの「創造論」を屈服させるという意味で)のであり、この本を買う人もそれに期待する訳ですが、結局のところそんな期待は全て「信じている」という誰でも書ける一言で裏切られてしまうのです。
本書のかなり最初の部分に、
「神は妄想である」とはいえアインシュタインやその他の見識ある科学者の神を指しているのではない。(P.36)(=「人格神は妄想と考えるが、汎神論的神については何も述べるつもりはない。」という意味。)
という事が書いてあります。
そんな事を言うのであれば、ブックカバーにタイトルと等しく目立つように併記してもらいたいと思います。
そうすれば、本書の売れ行きは半分以下となったでしょう。
米国アマゾンでトップ・テン入りしたベストセラーだそうですが、少なくともその半数はドーキンスに立腹していると思います。(ドーキンスの自信満々の語り口と彼の権威の前に精神的に降参してる人には腹も立たないでしょうが・・・)
ドーキンスは、私なんかとは比べ物にならない超・超秀才である事は間違いないでしょう。
でも、そんな彼がこんな事しか書けないとは、やはり神は妄想などではないと考えざるをえません。
従ってこの本を誰にも勧めるつもりはありませんが、もしかしてこの記事に反論コメントする為に読んでみるというようなチャレンジ精神旺盛な方には、強くお勧めします。
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