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2003年01月02日

いかり足

いかり足(いかりあし)は、株価のテクニカル分析において使用される指標。

概要
終値の表記に錨(↑・↓)のマークが使用されているもの。
棒足の進化系。 江戸時代には錨足が主流だったとようである。
始値より終値が高い場合が↑、安い場合が↓と表記し、 棒足よりは騰落方向が明確になる利点がある。

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インフレリスク

インフレリスクとは、物価の上昇(インフレーション)により、お金の価値が下がってしまうリスクのこと。

インフレリスクが最も大きいのは当然ながら現金である。
物価が上昇するということは、お金の価値が下がっていることと等しい。
預貯金の場合、物価上昇に見合うだけの金利が得られないと、やはり損をしたことになる。
そのため、長期間の定期預金も比較的リスクを伴う。
それと比較して株式や貴金属への投資はインフレリスクが小さいと言われている。
株式は物価上昇に伴い上がる事が多いと言われており、貴金属に関しては物価の指標のひとつである。

逆に、物価が下がれば(デフレーション)お金の価値が上がることになり、現金を持っていると得をする。
預貯金も当然得をすることになる。

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2003年01月03日

移動平均

移動平均(いどうへいきん、Moving Average)とは、金融やテクニカル分析における時系列データの統計的分析手法の1つ。
移動積分ともいう。

移動平均は任意の時系列について計算できるが、主に株式・為替・先物取引等で適用される。
移動平均は短期的な変動を平滑化し、長期的な傾向や周期を明らかにする。
短期と長期の分岐点はその応用目的や移動平均を計算する際のパラメータ設定などによる。

数学的には、移動平均は畳み込みの一例である。
また、信号処理におけるローパスフィルタにも似ている。


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移動平均線

移動平均線(いどうへいきんせん)は、株価のテクニカル分析において使用される指標。

それ自体は統計分析などで広く使われていたが、 アメリカのJ・E・グランビルによって相場分析に利用できる事が広められた。
移動平均線は、過去の一定期間の株価の平均値から求める。
5日移動平均線であれば、過去5日間の終値の平均値となる。
テクニカル分析の指標としてもっとも基本的なものであり、多くの投資家によって用いられている。


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2003年01月04日

一目均衡表

都新聞(現在の東京新聞)兜町担当記者であった一目山人(いちもくさんじん)こと細田悟一によって、1936年に考案されたテクニカル指標。 

一目均衡表は基準線、転換線、先行スパン上限、先行スパン下限、遅行スパンから構成される。
2本の先行スパンに囲まれた部分は雲と呼ばれる。
価格と時間を重視し相場は買い方と売り方の均衡が破れた方向に動くとの考えに基づき作られた。
身につけば非常に有用とされる一方、売買のシグナルは多岐に渡り、出来高は考慮しないため、所謂、ダマシにあうことも多い。
一目山人みずから手がけた解説本は全七巻にも及び、習得までの難度は極めて高い。
また、一部の巻が絶版になっているため、すべてを正しく把握できている者は極少数である。

株価チャートの複雑さに対し、

直近の売買価格帯の中心点(転換線、基準線)
過去からの価格変動(遅行スパン:26日前の売買者損益)
未来における、株保持者の購入価格帯層(先行スパン1,2、 雲)
を補助線として示し、現在の売買価格と補助線を比較することで、 価格と時間を軸として、まさに一目で均衡状態を把握できるようにした点が画期的である。

基本
一目均衡表は、次の5つの指標で構成される。
転換線=(過去9日間の高値+安値)÷2
基準線=(過去26日間の高値+安値)÷2
先行スパン1={(転換値+基準値)÷2}を26日先にずらしたもの
先行スパン2={(過去52日間の高値+安値)÷2}を26日先にずらしたもの
遅行スパン=(本日の終値)を26日前にずらしたもの

売買シグナル
転換線と基準線
転換線が基準線を上に抜けると買い。下に抜けると売りとされる。

解説: これは、過去26日間の売買価格帯に対しての、過去9日間の売買価格帯の高低を示しており、転換線の上抜けは買い傾向が強くなっており、下抜けは売り傾向が強くなっていることを表している。
出来高を考慮していないため、買い圧力売り圧力の強弱までは判断できない。
このトレンドの意味を理解した上で、売買シグナルとして判断する必要がある。

基準線
基準線が上向けば買い。下向けば売りとされる。

解説: これは、過去26日間平均の売買価の上昇、下降トレンドを表している

雲と株価
株価が雲より上にあれば下値支持帯、抵抗帯より下にあれば上値支持帯。
雲の厚みが抵抗力の強弱を示すとされる。

解説: 雲と呼ばれる、先行スパン1と先行スパン2に挟まれたゾーンが、支持帯、抵抗帯とされるのは、株保持者の購入価格帯を表しているためである。
雲の厚みは、たとえ厚くても出来高が少なかったり、薄くても出来高が多いこともあるため、実際は、価格帯の広い狭いのみを表していることを理解した上での判断が必要となる。

遅行スパンとローソク足、日々線
遅行スパンと日々線とを比べ、遅行線が日々線を上回っていれば買い期間、下回っていれば売り期間とされる。

解説:単純に買い期間、売り期間とみなすのは所謂ダマシにあうことが多い 遅行スパンと日々線を比較することは、26日前の売買者(遅行線)の日々線時点での損益を確認することとなる。
26日閒保持した層が、「保持を続行しようとしているのか」「利益確定または、損切りをしようとしているのか」を判断する材料として利用できる。
26日前の出来高が薄い場合に所謂ダマシとなることが多くなる。

三役好転/三役逆転
転換線>基準線, 株価>雲, 遅行スパン>日々線 の条件が揃うことを三役好転といい、強い買いシグナルとされる。
すべて逆の条件となることを三役逆転といい、強い売りシグナルとされる。



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糸山英太郎

糸山 英太郎(いとやま えいたろう、1942年6月4日 - )は、日本の政治家、実業家。獨協高等学校を経て日本大学経済学部卒業。

略歴
1942年 佐々木真太郎と糸山道子との間に生まれる。
1969年 新日本企画株式会社代表取締役に就任。
1974年 第10回参議院議員通常選挙で埼玉県から立候補し初当選。
1981年 相模工業大学(現・湘南工科大学)学長・理事長に就任。
1983年 第37回衆議院議員総選挙に立候補し荒船清十郎の地盤を引き継ぐ形で当選。
1996年 衆議院議員を辞職し、政界引退。湘南工科大学学長・理事長に就任。
1998年 湘南工科大学名誉博士号取得。
2002年 日本航空の特別顧問に就任。
2004年 湘南工科大学名誉総長、および名誉教授に就任。
2005年 湘南工科大学理事長・総長に就任。

生い立ち
東京都生まれ。ゴルフ場経営で財を築いた実業家で新日本観光興業(現:新日本観光)の創立者・佐々木真太郎(1969年には所得日本一となった)と糸山道子との間に出来た子。
母は佐々木の愛人だった。幼少時は虚弱児で、4歳の時には疫痢で死線をさまよった。

東京府豊島師範学校附属幼稚園を経て、5歳のとき療養で藤沢市に転居。
男の子についていけないことを危惧した母の判断により、私立の女子小学校に入れられたが、女の子ばかりの学校に適応できず、4ヶ月で私立湘南学園小学校に転校。
ここは男子校だったが、虚弱児童であるためにいじめを受けた。
3年生のとき脊椎カリエスを病み、出席日数不足で落第。
かつての同級生に遅れを取ることが我慢できず、藤沢市立藤沢小学校に転校。
コルセットが取れなかったため、ここでもいじめを受けた。

6年生の夏、受験のことを考えて東京都渋谷区立臨川小学校に転校。
ここでもいじめを受けそうになったが、1年遅れで体が大きかったことから番長を投げ倒し、新しい番長となった。
このころ、自分が妾の子であることを知って自暴自棄になり、慶應受験を断念して渋谷区立広尾中学校に入学。
出生にまつわる劣等感から喧嘩と恐喝、酒と煙草に明け暮れる不良少年となり、自主退学や放校を繰り返し、私立正則中学校(港区芝)や文京区立第三中学校を転々とする。

遊興費欲しさにポルノ写真を売ったのが人生最初のビジネスだったが、売りつけた相手が刑事だったために警視庁富坂署へ連行されたこともある。
都立の高校受験に失敗して獨協高等学校に入学。
ここでもたびたび暴力事件を起こして警察の世話になり、2年生のときに父親から勘当を受ける。
この時期、特に学習院に通う良家の子弟を目の敵にしていたという。

19歳で日本大学経済学部に入学。
1962年、高校の後輩を助けてリンチを受けたことへの復讐で恐喝事件を起こし、警視庁大塚署に告訴されたが、検事の温情により起訴を免れる。

この事件を機に暴力の世界から足を洗い、1962年に大学を中退して日比谷商事に就職、中古外車のセールスマンとなる(大学については、のち1973年に卒業資格を取得)。
1年間で77台の車を売ったのは、当時の業界の新記録だった。

入社1年目で独立したが、顧客の裏切りで35万円の穴を作り、父に泣きついたことから新日本観光に入社することになり、半年間のキャディー研修生活を経て、ゴルフ場の運営で実績を上げる。
1968年には同社常務取締役関西支社長に昇進。
その後、笹川良一の姪で笹川了平の娘である桃子夫人と結婚して資金的にも恵まれる様になり、政界、投資にも進出していった。

 政治家として
後の総理大臣・中曽根康弘の秘書を経て、1974年、石原慎太郎の後押しにより自由民主党から第10回参議院議員通常選挙に全国区出馬、32歳で参議院議員に初当選するが、選挙期間中から金権選挙振りがマスコミの耳目を集めた。
更に当選直後に大規模な選挙違反が発覚、選対本部長を始め経営していた会社の社員・ギャンブル関係者など142人が逮捕され、1287人が検挙されるという当時としては最大規模の選挙違反事件に発展した(特に義父の笹川了平は初犯だったにも拘らず、この選挙違反で実刑判決を受けた)。

任期が満了した1980年の参院選には、一時期埼玉県選挙区からの出馬を検討していたが、宇野亨の選挙違反事件・浜田幸一の金銭スキャンダルが問題となっていたこともあって出馬を断念。
1983年の第37回衆議院議員総選挙から衆議院議員に転身、一度の落選を挟んで3回当選。
1996年、任期途中に辞職した。「井上馨以来の貪官汚吏の頭目」と評されたことがある。

政界引退後
新日本観光等の会長職に就いており、東京都港区にある自社ビルのザ・イトヤマタワーには、自らも居住する。
糸山政経塾を主宰し湘南工科大学の名誉総長及び名誉教授も務めるほか、国内最大手の航空会社である日本航空の個人筆頭株主であり、エグゼクティブアドバイザーでもある。
東京都知事の石原慎太郎とは親友である。

2004年6月、長男・太一朗を新日本観光の代表取締役副社長に迎えた。

 エピソード
1973年の幻のローリング・ストーンズ来日公演をプロデュースした影の主催者であった。
政治家に多額のカネをばら撒いたと自ら著書の中で告白している。
不透明なカネを受け取ったのは自民党のみならず、共産党を除く野党すべてに及ぶ。
宇野宗佑政権で国対副委員長を務めた。
宇野が女性問題などを理由に辞意をもらした際、酔った上での発言にもかかわらず、それを記者団に公表し、宇野退陣の直接のきっかけを作った。
宇野の発言は酔った上での愚痴めいたもので、何の政治的配慮も無しに首相の発言を公表したことは、橋本龍太郎幹事長や中曽根元首相、竹下登前首相ら実力者が、宇野翻意に動いている最中だったこと等を理由に、党内から批判を受けた。
世界で154番目(日本で5番目)の資産を有する大富豪とアメリカの経済誌フォーブスは発表している(2006年版・4200億円)。
中山製鋼所を舞台にした仕手戦では、大物相場師の近藤信男(近藤紡績)を相手に一度は苦境に陥るが、父親や笹川の手を借りて何とか乗り切った。
1986年6月17日には、指定暴力団山口組後藤組系良知総業の舎弟頭に襲撃される。
発端は、1985年12月20日に開かれた「新日本フォーラム」とされる。
その後、後藤忠政組長、野村秋介とは和解。
その後、後藤組長は、糸山の様々な依頼を処理していくようになる。
2003年7月12日頃、ザ・イトヤマタワー18階の自宅で、元暴力団組長から紹介された16歳の少女に15万円の現金を渡して買春、このことが警察に露見し元暴力団組長ら3人が児童福祉法違反で逮捕された。
しかし買春相手が18歳未満だとは知らされなかったとして、児童福祉法違反に問われることは無かった。
このとき、事件もみ消しに暗躍したのが、五代目山口組若頭補佐(当時)だった後藤忠政・後藤組組長であったとされている。
2006年、糸山英太郎が会長兼社長を務めるゴルフ場運営会社がスポンサーを務めた「ゴルフスーパーバトル」という番組を放映する際に、糸山英太郎に対し幹部社員が挨拶していなかったとの理由により、幹部社員に対しテレビ東京が戒告などの処分を行った。
これについては、糸山英太郎はホームページでテレビ東京の対応に感謝すると共に、更にテレビ東京株を買い増しして影響力を強めていく意向を述べたが、一方で大株主が人事に介入するのはおかしいとしてテレビ東京側への非難の声も上がっている。
2007年3月19日現在、テレビ東京株を13.61%所有していることが関東財務局に提出した大量保有報告書で分かった。
これにより同社の株主第2位となった(ちなみに株主第1位は日本経済新聞社)。
その後、7月6日には業績の悪化を理由にすべての株を売却すると表明し、その日にテレビ東京の株価が急落した。



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ウィンブルドン現象

ウィンブルドン現象(-げんしょう)とは、市場経済において「自由競争による淘汰」を表す用語である。特に、市場開放により外国系企業により国内資本企業が淘汰されてしまうことをいう。
ウィンブルドン効果とも呼ばれる。

概要
市場経済において自由競争が進んだため、市場そのものは隆盛を続ける一方で、元々その場にいて「本来は地元の利を得られるはずの者」が敗れ、退出する、あるいは買収されること。

競争により活性化し望ましいという見方と、在来のものが除外され望ましくないという見方がある。

語源
テニスのウィンブルドン選手権が語源。
伝統ある同選手権では世界から参加者が集まるために強豪が出揃い、開催地イギリスの選手が、勝ち上がれなくなってしまったことから。
男子シングルスでは1936年のフレッド・ペリーの優勝を最後に、女子シングルスでは1977年のバージニア・ウェードの優勝を最後にイギリス人の優勝者は出ていない。

金融市場における現象
1980年代、マーガレット・サッチャー政権によりビッグバンと呼ばれる大規模な金融の規制緩和が行われた結果、シティ(ロンドン金融市場の中心地)は発展を続けたものの、地場の伝統ある金融機関の殆どが外資系金融機関に買収された。
以下、典型的な数例を挙げる。

ベアリングス銀行
1762年創業の伝統あるマーチャント・バンクだったが、シンガポール支店の一トレーダーの投機の失敗がもとで、1995年、オランダの金融グループINGに救済買収された。
クラインウォート・ベンソン
1786年にその創業起源を持つマーチャント・バンク。
1995年にドイツの金融グループ、ドレスナー銀行に吸収された。
カゼノヴ
1823年創業の株式ブローカーであり、小規模ながらイギリスの有名企業、富裕著名人の多くを顧客としていることで有名だった。
同社は「シティで最後の独立系インベストメント・バンク」といわれていたが、2004年にアメリカのJPモルガン・チェースに事実上買収された。


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LIBOR

LIBORとは「London Inter-Bank Offered Rate」の略で、ロンドン銀行間出し手金利のこと。
「ライボー」のように読まれる。
一般的には、指定された複数の有力銀行(リファレンスバンク)から報告された11:00時点のレートを英国銀行協会(BBA)が集計し毎営業日発表している「BBA LIBOR」を指す。
特に6か月物は短期金利の指標として使われることが多い。

London・・・国際金融市場の中心ロンドンにおいて
Inter-Bank・インターバンク(銀行間直接)取引で
Offered・・・・資金の出し手から提示される
Rate・・・・金利、利率
資金調達コストの基準として用いられ、調達コストの割高/割安をLIBORとの比較で表現されることが多い。
例えば、LIBORと同水準で社債等が発行された場合には「LIBORフラット(ライボー・フラット)」或いは単に「Lフラット(エル・フラット)」と表現される。
また、特に信用力の高い企業では、LIBORよりも低い水準で資金調達を行なうことができ、その場合「サブLIBOR(サブ・ライボー)」と云われる。



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LTCM

Long-Term Capital Management(ロングタームキャピタルマネジメント、通称:LTCM)は、かつてアメリカ合衆国コネチカット州に本部をおいて運用されていたヘッジファンドである。
日本語に訳すと、「長期間の資本管理」となる。

創始と当初4年間の成功
LTCMはソロモンで活躍していた債券トレーダーのジョン・メリウェザーの発案により設立され、1994年2月24日に運用を開始したが、このファンドはFRB(アメリカの中央銀行)元副議長デビッド・マリンズや、ブラック-ショールズ方程式を完成させ、共に1997年にノーベル経済学賞を受けた経済学者であるマイロン・ショールズとロバート・マートンといった著名人が取締役会に加わっていたことから「ドリーム・チームの運用」と呼ばれ、当初より12億5000万USドルを世界各国の証券会社・銀行などの機関投資家、富裕層から集める事に成功した。
メリウェザー自身は25億ドルの資金を集めることが目標であったが、この募集金額は、ファンド創始時のものとしては史上最高額となるものであった。
これはマリンズの加入によって民間のファンドでは通常ありえない投資資金の流れが生まれたためである。
主なものとしては、香港土地開発局、シンガポール政府投資公社、台湾銀行、バンコク銀行、クウェート国営年金基金、イタリア中央銀行などがある。
日本では住友銀行が1億ドルをLTCMに投資していた。
また著名人も数多くLTCMに投資した。
ハリウッドエージェントのマイケル・オビッツ、ナイキのCEOであったフィル・ ナイト、ベア・スターンズCEOのジェームズ・ケインなどが多額の資金をLTCMに提供した。
さらにはセント・ジョーンズ大学、イェシバ大学、ピッツバーグ大学なども資金を提供したことからいかにLTCMが世間から期待され、信用されていたかが伺える。

中立ファンド
その運用方針は、流動性の高い債券がリスクに応じた価格差で取引されていない事に着目し、実力と比較して割安と判断される債券を大量に購入し、反対に割高と判断される債券を空売りするもの(レラティブ・バリュー取引)であった。
コンピュータを用いて多数の銘柄について自動的にリスク算出、判断を行って発注するシステムを構築した。
また、個々の取引では利益が少ないことから、発注量を増やし、レバレッジを効かせて利益の拡大を図った。
その後、1995年にはM&A、1996年には金利スワップ取引、1997年には株式やモーゲージ取引のように、低流動性かつ不確実性が高い市場取引にも参入していった。

特定の市場や国などに攻撃を仕掛けるマクロファンドと異なり、市場に対して中立的な方針をとるこのファンドの運用は1998年初めまで成功し、当初の投下資金は4年間で4倍に膨れ上がった。
平均の年間利回りは40%を突破した。
結果としてLTCMへの信用が高まり、資本金65億USドル程度の会社が、UBSなど各国の金融機関の資金1000億USドルを運用するという状態にまでなった。

破綻
しかし1997年に発生したアジア通貨危機と、そのあおりをうけて1998年に発生したロシア財政危機が状況を一変させた。
アジア通貨危機を見た投資家が「質への逃避」をおこしつつあったところへロシアが債務不履行を宣言した事により、新興国の債券・株式は危険であるという認識が急速に広がり、投資資金を引き揚げて先進国へ移す様になったのである。
LTCMの運用方針では、この様な動揺は数時間から数日のうちに収束し、いずれ新興国の債権・株式の買い戻しが起こることを前提としており、それに応じてポジションをとった。
だが、これらの経済危機によって生まれた投資家のリスクに対する不安心理は収まらず、むしろますます新興国・準先進国からの資金引き上げを加速させていった。

結果としてLTCMの運用は破綻し、資産総額は1994年の運用開始時点の額を下回り、同年9月18日ごろには誰の目にも崩壊寸前である事が明らかとなった。

救済
だが、前述の通りLTCMは欧米の金融機関から投資された1000億USドルもの資金を運用しており、さらには1兆USドルに上る取引契約を世界の金融機関と締結していた。
そのためLTCMが崩壊すると、ただでさえ前述した経済危機により不安定となっていた金融市場に多大な影響を与え、恐慌への突入も危惧された。
また、その成功を見た多くの金融機関がLTCMの運用手法を模倣しており、それらも多大な損失を生み出していた状況であったため、なおさらのことであった。

そのため、一私企業の救済は自由経済の原則にそぐわないとして反対する声を押し切り、ニューヨーク連邦準備銀行の指示によりLTCMに資金を提供していた15銀行が、LTCMに最低限の資金を融通し、当面の取引を執行させて緩やかに解体を行わせていく事にした。

またアメリカにおいてはアラン・グリーンスパンの指示により、短期金利のFFレートを1998年9月からの3ヶ月間で3回引き下げるという急速な対応をとり、LTCM破綻危機により拡大した金融不安の沈静化を図った。

これらの行動を受け、日本でも同様に1999年初めに金融恐慌を発生させないため(日本長期信用銀行・日本債券信用銀行などの破綻の影響もあったが)、銀行への公的資金注入と、ゼロ金利政策の実施がなされている。

ただし、この救済融資は、融資先がヘッジファンドという従業員個人の才覚が財産であるという性格の社団であるため、日銀特融のような単純な緊急融資ではなかった。
例えば、パートナー(運用者)らは、返済まで3年間は退職することは許されず、ボーナスや運用報酬はほとんどゼロというトレーダーには屈辱的な契約を結ばされた。

また、この危機の最中にジョージ・ソロス、ウォーレン・バフェットという世界的な投資家やゴールドマン・サックスなどの巨大投資銀行がLTCMのノウハウを独占するために、共同あるいは単独で、足元を見た買収を打診しており、この「救済」もFRB主導で行われた事実上の買収だったのでは?という見方も出ている。
当然のことながら、この一連の危機でLTCMのノウハウはすっかり流出してしまった。

ジョージ・ソロスや投資銀行が、アジア危機、ロシア危機の余波を受けて身動きが取れなくなったLTCMを陥れるため、意図的にエマージングマーケットに売りを浴びせ「質への逃避」を加速させたとの説もある。
中心人物であったジョン・メリウェザーは負債清算後に開業した「JWMパートナーズ」の説明会で「自然災害に対して保険を掛けるのは理に叶っている。
しかし、相場の暴落に対して保険を掛けるのは間違いである。
なぜなら、彼ら(保険の契約相手)は暴落を引き起こす能力を往々にして持っているからだ。」と意味深なコメントを残している。

その後
LTCMに対する36億USドルの緊急出資のうち、9割が1999年中に返還された。
これは想定されていたよりかなり前倒しの結果である。
発案者のジョン・メリウェザーは、LTCMを清算した直後「JWMパートナーズ」という新しいヘッジファンドを開業し、2007年2月に起きた世界同時株安で円キャリーの撒き戻しによる為替取引で利益をあげた。


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2003年01月06日

M&A

M&A(Mergers and Acquisitions、(合併と取得)の略、エムアンドエー、エムエー)とは、企業の合併・買収を総称して言う。
他の企業を取得しようとする際には、買収者やその子会社などに吸収合併させるほか、買収先企業の株式を買収して子会社化する手段が用いられることから、およそ企業の取得という効果に着目して合併と取得を総称するものである。

M&Aは、新規事業への参入、企業グループの再編、業務提携、経営が不振な企業の救済などを目的として実施される。
広義には、包括的な業務提携やOEM提携なども含まれる。

日本法上の概念としては、企業合併・会社分割・株式交換・株式移転・株式公開買付などの法的要素が核となるが、これらの各要素は対象企業のコントロールを得る手段として捉えられ、M&Aという場合には、利用する手段のデザインを含めた企業戦略を把握する概念として用いられることが多い。

概要
企業の買収合併は年々増加傾向にあり、その目的は様々であるが、主な目的は、国内・国外における国際競争力の強化や国外進出を容易にするためなど、国際的なマーケット拡大に伴う、生存競争と事業拡大のために用いられる傾向があり、買収の規模も拡大傾向にある。

国内では、中小企業の後継者問題などで特にM&Aが用いられている。
また、大型スーパーマーケット業界、コンビニエンスストア業界、銀行業、情報通信業、衣料品業界、製紙業界などで大型の事業再編・M&Aなどが盛んに行われている。

企業買収の基本的な仕組み

会社の「所有」と経営陣
企業が株式会社などの会社である場合、日常的な経営は代表取締役や取締役などの経営陣が行っているが、企業の「所有」権は、株主などの出資者(オーナー)が有する。
株主は、株主総会の場で経営陣たる取締役を選任して大局的・究極的に会社のコントロールをする。

企業買収とは、一般的には、買収者は、現在の株主から株式を買い取って新たに株主となり、その会社の「所有」者として経営をコントロールする。
株主となれば、株式への配当などによって、会社の利益の分配を受けることで、「所有」者としての経済的な直接のメリットも受ける。

いわゆるオーナー企業で、経営者と株主が同じ場合を除き、経営陣は、株主に選任されて会社運営を任された立場に過ぎない。
買収提案時点での経営陣は、それまでの株主に経営を任された者であるから、買収によって株主が変動することは、自らを選任した者たちが株主でなくなることを意味する。
取締役は、選ばれる立場に過ぎず、本来、直接株主の異動に意見を述べる立場にない反面、実際には、ポジション維持のためには重要な利害関係を有する出来事となる。
ただし、この後者の利害は会社のための利害ではなく、個人の利益に過ぎない。

経営陣が、買収提案に意見を述べるのが正当化されるのは、会社の経営に携わり、その内実に最も詳しい立場にある者として、現在の株主に対し、買収提案が妥当なものかどうか、についての意見を述べるものとして位置づけたときである。
ごく端的に言えば、自分の立場が危うくなるから反対するのではなく、株主にとって買収提案に乗ることはメリットがないからやめたほうが良い、という現場からのアドバイス、という位置づけにすることで、取締役は買収提案に反対してもそれが私利私欲に基づくものではない、ということができることになる。

株式の保有割合
株式は細分化された上で複数の株主に保有されることが予定されており、通常は発行済み株式総数や、各議案について行使可能な議決権を有する株式数との関係で割合的に会社の「所有権」を取得することになる。
取締役の選任など、通常の株式会社の議案については、発行済み株式総数の過半数の議決権を有する株主の賛成で承認されること、また、会社にとって重要な合併の承認・定款の変更などについては、同じく3分の2以上の議決権を有する株主の賛成で承認されることから、会社の株式の保有割合については、過半数を有しているかどうか、3分の2以上を有しているかどうか、が会社の「所有」に関する区切りとなりうる。
また、そこに至らなくても3分の1以上の議決権を有している場合には、意に沿わぬ重要決議を阻止することができることとなる。

会社=会社株式の買収
買収者は、株式を、現在の株主からの相対取引(個別交渉)により取得することができるほか、公開会社の場合には、証券取引所などのマーケットにおいて、対象企業の株式を取得することができる。
ただし、特定企業の株式を一定割合以上取得するときには、大量保有報告書などの証券取引法(金融商品取引法)上の規制を受けることとなるほか、一定の場合には、公開買い付けの方法によることが義務付けられるなどの制約が課されることとなる。
公開買い付けは、買収提案者が条件を公表しつつ広く一般株主から買い付けを行うものであり、それに現在の経営陣が同意する場合には、上場企業の場合には、適時開示の一環としてその旨を買収先企業も公表することが必要とされることから、少なくとも、この時点で買収の取り組みは公然のものとなり、その枠組みがいわゆる敵対的買収なのか友好的買収なのかが明らかになる。

敵対的買収
敵対的買収(hostile takeover)とは、対象会社のその時点の経営者に対して友好的でない買収をいい、通常は買収対象会社の取締役会による同意が得られていない買収を言う。
経営陣が買収提案に同意しない場合には、買収防衛策の導入が図られたり、株主に対し、会社経営陣として買収提案に応じないよう働きかけが行われたりすることから、買収の成否をめぐって、買収提案者と会社経営陣などを中心に激しい競争がなされることとなる。

表現は、イメージが良いものではないが、敵対的買収という文脈での「敵対的」との表現は、現経営者と買収提案者が「敵対的」なことを意味するだけであり、買収の提案内容とは中立的なもので、株主や投資家・従業員・社会一般にとって敵対的・有害な買収であることなどを意味しているものではない。
敵対的買収への対応
もともと日本では、企業間での株式の持ち合いにより企業買収の脅威に備えてきた。
持ち合いは取引先の企業・金融機関などとの間で見られる。
取引先の企業・金融機関では、取引関係の安定・継続の目的と、相互株主保有の自社にとってのメリットが認められてきた。
また保険会社、従業員の持ち株会などに安定株主にも安定株主の役割が期待されてきた。
さらに個人株主にも長期安定保有を促すため株主優待などの仕組みが発達した。

しかしデフレ不況が続くもとで、企業の保有資産の効率化の視点から、保有資産としての株式の収益性の悪さ、継続的取引が企業間の競争的な効率性の改善に支障になることなど、持ち合いについてマイナス面に限った指摘が増えた。
また時価会計の導入によって、株式保有の資産価値が変動するようになり、株式保有のリスクが表面化するようになった。
系列取引については、長期継続取引を前提にして、設備投資を促したり、品質の確保を促しやすいなど多くのメリットがある。
しかし外国資本や新興企業が市場に取引に新規参入するには、新たな参入を促し市場競争を促進するうえで大きな障壁と写った。
調達企業側にとってもデフレ不況の深刻化のなかで、従来の取引関係にとらわれず、調達先を広げたり値引き交渉を行い、大幅なコストダウンを図ることが重視された。
これらの様々な理由から、株式持ち合いの解体が、主張されるようになった。

しかし近年、企業買収の制度が整備されるなか、個人株主の長期保有を促すことと合わせて、伝統的な企業買収対策である株式持ち合いの強化が注目されている。
それは必ずしも明示的な宣言の要素を伴わず、市場に対して大きな影響を与えずに進められる防衛策だからである。
具体的には、企業間の取引関係の強化を表向きの理由として、第三者割当増資を行うといったやり方で実施されている。

これに対して近年議論の俎上に上がる「買収防衛策」といわれるものは、特定の「買収防衛策」の導入の発表といった宣言的要素を伴うため、市場からの反応を招きやすい。
一般に株式市場は、経営者の地位を守るだけの防衛策に否定的反応を示すとされる。
そこで株主総会での承認手続きが重視されるのである。
またもう一つ重視されるのは、買収防衛策を発動する条件である。
多くのケースでは経営陣から独立した委員会が、買収者の狙いが、企業価値を損ねると判断することを発動条件としている。
このように買収者の意図を確認して、防衛策の発動を決めることを事前警告型と呼んでいる。
この場合、買収者の定義としては15%あるいは20%を取得したものとし、経営陣から独立した委員会の意味は経営陣を含まない社外メンバーとするものが多い。

具体的買収防衛策としては、以下にみるポイズンピル型が多い。
既存株主に対して無償で新株予約権を交付するものが多い。
ただし、新株予約権を交付すると、既存の株主権の希薄化(株式の希薄化)につながることへの批判もある。
そこで信託銀行にあらかじめ新株予約権を発行しておき、発動条件が満たされたときに信託銀行経由で株主に新株予約権を交付する仕組み(ライツプラン)も開発されている。

このような買収防衛策の議論に対して、そもそも企業が買収の脅威にさらされるのは、実現できる株価に比べて、高株価が実現できていないためであるとして、企業価値の向上を図ることが最良の買収防衛策であるとの議論も繰り返されている。
このような議論では、株主への利益還元を図ること、たとえば増配や自社株買い取りを進めること、など株価向上のための施策が企業買収防衛策として指摘されることもある。

いわゆる買収対抗策(企業買収防衛策)
以下では、有名な防衛策・予防策を紹介する。
それぞれ、導入費用、会社法上のリスク(差止めや役員の損害賠償責任など)、税法上のリスク、実効性に関するリスクなどはさまざまであり、個々の会社の特性に応じて使い分けがなされる。
以下の他にも株式の配当金を非常に高額に設定して既存株主に株を安易に売らないようにアピールするやり方などもあるが、基本的には、情報を開示し、常に株主の期待に応え、高い株価を保っていることが重要となる。

ゴールデンパラシュート
「黄金の落下傘」の意。買収後、現在の取締役は解任されることが多いが、その取締役の退職慰労金の額を高額に設定しておく。
それにより、買収後の出費が多いことから、買収を思いとどまらせるもの。
退職慰労金の額の目安は、取締役の年収の約2、3年分ぐらいであるが、高額な場合には、投資家からの批判に晒されることがある。

ティンパラシュート
「ブリキの落下傘」の意。
買収された後、人員整理などで従業員が解雇されることが多いことを利用した方法で、従業員の退職金の額を非常に高く設定しておく。
それにより、買収したとしても後の出費が多いということを見せつけて、買収を思いとどまらせるやり方。
絶対的多数条項
買収した後、取締役解任などの特別決議の可決資本割合を80%や90%のように上げておき、簡単に可決できないようにするやり方。

第三者割当増資
いざというときの防衛策。
予防策ではない。2005年3月のライブドアとニッポン放送での出来事で有名になったやり方で、新規に株を発行する増資という方法を用いる。
それにより、全体の発行済株式総数を上げ、買収する企業の持ち株割合を下げて買収されないようにするやり方。
通常の公募増資とはことなり、指定された第三者のみが新株を購入することができるほか、市場の取引価格と比べると非常に安く購入できることが多い。
すなわち、実質的な利益の供与でもある(たとえば1株100万円の株をXに対して1株1万円で割当増資を行えば、Xは99万円の利益を得たことになる。
またX以外の者がもつ株式の価値を希薄化し、損害を与え、投資家保護を主眼とする証券取引法違反の疑いが強い)ため乱用すべきではないと言われる。

ポイズンピル
毒薬条項とも呼ばれる。新株予約権を予め発行しておき、一定の条件が満たされると廉価でそれを行使可能にさせ、買収する側の持ち株比率を下げる仕組み。
アメリカでは新株予約権付株式を用いて行われる。
日本では旧商法下では、新株予約権付株式は認められていなかったので、信託型ライツプランが最も幅広く用いられていた。
平成18年5月1日施行の新会社法の下では、取得請求権及び取得条項の取得対価として新株予約権をつける事が法律上可能となり、事実上の新株予約権付株式の発行が可能となったので、今後の日本における買収防衛策に利用される可能性がある。ポイズンピルとライツプランは同義ではないが、日本ではほぼ互換的に用いられる。

(ブルドックソースの買収防衛策)
ブルドックソースの2007年定時株主総会で導入が承認された買収防衛策は、事前に用意した制度でない点で典型的なポイズンピルとは異なるが、新株の発行により、買収者の持ち株比率の低下を企図する点で類似する。
この買収防衛策は、基準日(2007年7月10日)時点の株主に対し、保有1株あたり3株の新株予約権を無償にて付与するものである(ここでいう株主には買収提案者も含まれる)。
この新株予約権は、1円の払込みにより1株の普通株式の取得が可能だが、買収提案者であるスティール・パートナーズ・関係者・譲受人などは非適格者として指定され、予約権の行使はできないほか、非適格者の新株予約権は396円で買い取る権利を会社は有している。
この価格は公開買付価格をもとに買収者に経済的損失を与えない価格と会社は説明する。

この新株予約権無償割当ての差止めを求める仮処分の申立てがなされたが、2007年6月28日、東京地方裁判所(鹿子木康裁判長)は、株主総会の判断が明らかな合理性を欠くとは認められず、著しく不公正ではない、として却下した[2]。スティール・パートナーズは、この決定を不服として即時抗告を行ったが、東京高等裁判所(藤村啓裁判長)は、7月9日、過去に手がけたTOB事例からスティール・パートナーズを濫用的買収者と認定、ブルドックソースが導入した買収防衛策を著しく不公正な方法によるものではない、として東京地方裁判所の決定を支持する決定を行った。
スティール・パートナーズは、特別抗告・許可抗告の申立てを行い、7月27日、東京高等裁判所は最高裁判所への抗告を許可したが、最高裁判所は、8月7日、抗告をいずれも棄却した。

最高裁決定の詳細はブルドックソース事件で

7月11日には、買収防衛策の発動として、株主に対し新株予約権が実際に付与された。
この新株予約権に基づき8月9日に新株が株主に交付された。
株主のうち、スティール・パートナーズが有する新株予約権は、ブルドックにより買い取られた。

スタッカードボード
期差選任取締役(会)の意。
取締役の任期を全員2年ずつではなく半数ずつ改選されるようにして、時間を稼ぐやり方。
このやり方は投資家からの批判が強く、使い勝手が悪い。
その理由として、投資家が期差選任が取締役のモチベーションを下げる可能性を危惧しているからである。

黄金株

重要な株主総会の決議事項について拒否権を有する株式を信頼できる第三者に対して発行することで、買収のために必要な決議を妨害するもの。
会社法施行により導入が可能となり、東京証券取引所の上場企業などの公開企業でも、株主総会の決議で無効にできることなどの一定の条件付きであれば導入が可能となっている。

全部取得条項付株式
会社法により少なくとも条文上は導入が可能となるもの。
全部取得条項付株式は、取得条項付株式の場合と異なり、取得の際に株主総会及び法定種類株主総会での取得決議を要すると言うデメリットを持つ代わりに、その決議の際に取得対価を設定すればよいので、全部取得条項の設定の際に取得対価を設定する必要がないというメリットがある。
会社法になって導入されたもので、買収防衛にどのように用いられるかはまだ未知数な所が多い。
レックス・ホールディングスのMBOにおいてこの手法が活用された。

事前警告型
買収がなされようとしたときには一定の防衛策を採る旨を予め警告しておくというもの。

マネジメント・バイアウト
MBOと略される。経営陣が株式を取得して閉鎖会社としてしまうもので買収防衛策としては端的で究極的なもの。
株式の上場とは、第三者の自由な株式取得を認めることであることから、上場廃止にすることは、経営者にとって望ましくない者が株式を取得することに真正面から対抗する方策となる。

焦土作戦
スコーチド・アース・ディフェンスともいう。
会社の持っているクラウン・ジュエル(財産的価値の高い物)を関連会社などに売却するなどにより、会社の価値を大きく下げて買収するメリットをなくす方法。企業価値が下がれば、敵対買収者の関係のみならず、会社債権者の債権の引当てとなる財産を毀損することにもなりかねないため、場合によっては、企業の利益を追求すべき取締役が会社に対して意図的に損害を与える背任罪(5年以下の懲役又は50万円以下の罰金)を犯すこととなり、特別背任罪(10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金)になると考えられる。

ホワイトナイト
「白馬の騎士」の意。
買収される企業にとって友好的な第三者(企業)のこと。
自社株を買収してもらう場合や、買収する企業に逆買収をかける(パックマン・ディフェンス=後述)場合もある。

パックマン・ディフェンス

逆買収ともいう。
敵対的買収を受けた企業が、買収提案者を逆に買収することで、自社が買収提案者の現在の経営者のコントロール下に入ることを妨げようとすること。
ゲーム(パックマン)において、追われる立場のメインキャラクターが、一定の場合には、逆に追手を食べて反撃することに由来する。

ジューイッシュ・デンティスト
情報工作・PR戦術を中心とする防衛策。
買収を仕掛けてきた企業の社会的弱点をマスコミ等を用い広めることで、イメージダウンを図り社会的信用を貶める工作。
アラブ資本の会社が歯科器具メーカーを買収しようとした際に、被買収企業側(アメリカの歯医者にはユダヤ人が多いとされている)が広報戦略を行なったことに由来すると言われている。

買収対抗策の発動の是非・関連法令の整備
一般に、買収対象会社の取締役などの経営陣が、買収提案者による提案に同意しなかった場合には、買収対抗策の発動が検討される。
この場合、買収対抗策を実際に発動することが、買収対象会社の株主の利益との関係上、法令上認められるかどうかについては争いとなることが多い。
アメリカにおいては、多発する敵対的買収事案および買収対抗策の発動により、判例上ないしは実務上、認められる買収対抗策の範囲が順次確立されてきている。

企業買収防衛策に対しては、経営者を過剰に守ることとなり株主の利益を損なうのではないかとの疑問が出されることがある。
そのため、取締役会での決議だけで防衛策導入を決定することには批判があり、導入には株主総会での承認などの一定の手続が必要と考える意見がある。

日本においては、これまで敵対的買収がなされた例に乏しく、判例上の蓄積などが十分とはいえない。
アメリカでの議論を参考にしつつ、また日本における会社法実務との兼ね合いを意識しつつ、議論が進められてきている。

新株予約権の発行に関する東京高裁の決定(ニッポン放送の事例)
2005年3月23日に下された決定の中で東京高等裁判所は、取締役などの買収対象会社の経営陣が買収対抗策を講じても構わない敵対的買収者として、具体的に4つの例を示している。

会社経営に参加する意思がなく、株価を吊り上げた上で会社関係者に高値で買い取らせようとする場合(グリーンメーラー)対象会社を一時的に支配することで、知的財産、ノウハウ、企業秘密、取引先などを買収者等に移転する目的にある場合(焦土化経営)対象会社の経営を支配後、その資産を買収者等の債務の担保や弁済の原資として流用する目的にある場合対象会社の高額資産を処分することで、一時的な高配当ないしは高配当目当ての株価の急激な上昇により株式の高額売抜けを企図する場合 これらの場合、その敵対的買収者は濫用目的で買収を提案したものであるから、株主として保護する必要がないばかりか他の株主の利益を害するものとして、取締役による買収対抗策の発動は認められる、とした。

買収防衛策に関する指針
2005年5月27日には、経済産業省の主導による企業価値研究会が「企業価値報告書」を作成・公表し、これを踏まえ、同日、経済産業省・法務省による指針が発表された。
この指針には法的拘束力はないものの、経済産業省のみならず法務省によって、行動規範として用いられることが期待されているなど、一定の影響力を有するものとして捉えられている。

上記指針においては、取締役が買収対抗策を導入することについて、「意思決定機関としての株主総会は機動的機関とは言い難いから、取締役会が株主共同の利益に資する買収防衛策を導入することを一律に否定することは妥当ではない」と指摘した上で、買収対抗策の導入、行使、廃止に当たっては、以下の原則を充足すべきものとした。

企業価値ひいては株主共同の利益を確保し、または向上させる目的をもってなされること(企業価値・株主共同の利益の確保・向上の原則)
事前に株主、投資家等に導入の目的、内容等を具体的に開示すること(事前開示の原則)
株主総会決議に基づき導入するか、株主の相対的意思によって廃止できる手段を与えるなど株主の合理的な意思に依拠すること(株主意思の原則)
株主平等原則、財産権の保護、経営者の保身のための濫用防止などに配慮した必要かつ相当な方法によること(必要性・相当性確保の原則)
さらに同研究会は、2006年3月31日に、「企業価値報告書2006~企業社会における公正なルールの定着に向けて~」と題する報告書を公表し、買収防衛策の開示ルールや上場・買収ルールなどのあり方などに関しての取りまとめを行った。

会社法の制定
また2006年5月1日には、株式会社などの会社を規律する法律として、従来の商法その他の法令に代わり、会社法が施行された。
会社法の制定により、買収対抗策として用いることができる手段に関して新たに規定が設けられるなど、M&A実務に影響を与えている。

金融商品取引法(旧証券取引法)の改正
従来の証券取引法を金融商品取引法との名称に改め、対象取引を拡大し、一部規制を強化する改正が2006年6月に成立した。
各改正の施行は段階的に行われつつあるが、その中には、公開買付け制度の改正、強制公開買付けの適用拡大、大量保有報告制度の改正などM&A実務に影響する改正が含まれている。



出典:フリー百科事典「ウィキペディア」

エリオット波動

エリオット波動(えりおっとはどう)とは、R・N・エリオットが確立した、株式投資についてのテクニカル理論。

概要
この理論によると、1つの相場には「上昇5波動」と「下降3波動」が存在する。

上昇局面では、以下のような「5つの波動」を描く。

「上昇第1波」→ 「調整」 → 「上昇第2波」→ 「調整」 →「上昇第3波」

下降局面では、以下のような「3つの波動」を描く。

「下降第1波」 → 「戻し」 → 「下降第2波」

つまり、上昇時にはジワジワと「底上げ」しながら上げていく事が多く、下降時には一気に下落して、一度は反発する…という事である。

波動の規模
グランドスーパーサイクル … 100年以上
スーパーサイクル … 50年
サイクル … 10年
プライマリー … 3~5年
インターミディエット … 30週~50週
マイナー … 10週
ミニュット … 3~5週


出典:フリー百科事典「ウィキペディア」

エンロン

エンロン(Enron Corp.、2007年3月にEnron Creditors Recovery Corp.に改称)は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンに存在した、総合エネルギー取引とITビジネスを行う企業。

2000年度年間売上高1,110億ドル(全米第7位)、2001年の社員数21,000名という、全米でも有数の大企業であった。
しかし、巨額の不正経理・不正取引が明るみに出て、2001年12月に破綻に追い込まれた。
破綻時の負債総額は諸説あるが少なくとも310億ドル、簿外債務を含めると400億ドルを超えていたのではないかとも言われている。
2002年7月のワールドコム破綻まではアメリカ史上最大の企業破綻であった。

歴史
エンロンの起源は、1931年に数社のエネルギー(ガス・電力・パイプライン)関連企業が集まってできたノーザン・ナチュラル・ガスにさかのぼる。
1979年に同社は企業再編を行い、持株会社としてインターノースを設立した。
ガス業界の規制緩和によって業界再編が進む流れの中で、1985年にインターノースがヒューストン・ナチュラルガスと合併してエンロンが誕生した。当初は、英語のenter(入る)とon(続ける)を組み合わせたEnteronを合併会社の社名としたが、"enteron"という英単語が「消化管」を意味することに気づいたため、短縮したEnronを採用した。
また、この合併はインターノースがヒューストン・ナチュラルガスを買収する形で行われたが、本社は後者の本拠地であったヒューストンに置かれ、なおかつ後者のCEOであったケネス・レイが合併会社のCEOに就任し、2001年の破綻に至るまで実権を握っていた。

1980年代の暮れには、業界の先端を走るようにガス取引に積極的にデリバティブを取り入れ、企業規模を拡大していった。経済学を学んだスタッフを多く抱え、エネルギー業界に限らないキャッシュフロー経営の最先端企業ともなり、アメリカの投資バブルにも支えられ、安定した経営をアピールした。

こうした一方、1980年代暮れには粉飾会計に手を染めていた。
1990年代のうちに、時価主義会計を利用して見かけ上の利益を水増しする、当時でも合法ぎりぎりの会計も積極的に利用して売上・利益を増大させていった。
さらに、インサイダー取引についても、1980年代から行われていたことが明らかになっている。

1990年代後半には、デリバティブで電力価格がわかりにくくなっているのを利用して、同じ電力に対して同量の売りと買いを発生させて実質の取引量がゼロであるにも関わらず売上を上げる取引も積極的に取り入れた(循環取引)。空売りなどによる売上・利益確保は2000年のカリフォルニア電力危機においても積極的に行われたため、この危機の原因の一つともなった。
1998年には利益に占めるデリバティブ比率は8割を越えた。

損失隠し
この裏では、取引損失を連結決算対象外の子会社(特別目的事業体:Special Purpose Entity, SPEと省略される)に付け替えて簿外損失とすることも積極的に行われた。
会計を全米有数の会計事務所であったアーサー・アンダーセンが担当していたために、決算における市場の信頼は厚かったが、実際にはアーサー・アンダーセンならびに顧問法律事務所も、数々の違法スレスレのプロジェクトの遂行や粉飾決算に加担していた。

損失を簿外に隠蔽するプロジェクトの例として、ADSLをベースとするISPであったリズムス・ネットコネクション株に関するLJMプロジェクトがある。
エンロンはリズムス株を1998年3月に1株あたり1.85ドルで買収したが、1999年4月に同社が上場すると上場日の終値は69ドルにもなり、その後も上昇を続けたため、エンロンが採用していた時価会計によって評価益が発生した。
しかし、実際には契約によりエンロンはリズムス株を4年間売却することができず、あくまでも経理上の評価益にとどまっていた。

このリズムス株の値下がりリスクをヘッジするという名目で、エンロンはSPEであるLJMパートナーズを設立した。
最大で3億ドル近くあった評価益を、エンロン本体は1億ドルのみ計上して、残りの2億ドル程度をLJMに移管し、その代わりにリズムス株が値下がりした場合の損失はLJMが負担することとした。
しかし、LJMは巧妙に連結対象外となるように仕組まれてはいたものの、事実上はエンロンと一体のものであり、リズムス株がその後急落して評価損が出るとその損失を簿外に隠蔽する役割を果たした。

さらに、LJMの設立にあたっては、CFOのアンドリュー・ファストウをはじめとする幹部がエンロン本社の取締役会の承認を得ずにLJMの役員を兼任して高額の報酬を得ていたり、アーサー・アンダーセンや顧問法律事務所にも多額の手数料が渡っていた。

リズムスはその後2001年8月に破綻したため、本来であればエンロン本体として計上すべき1億ドルの損失が隠蔽されることになった。
LJMの場合には当初の設立目的は損失隠しではなく、結果的にその役割を果たすことになったが、後には多くのSPEが最初から巨額の損失を簿外に隠蔽する目的で設立された。

エンロン・オンライン
1999年に設置した「エンロン・オンライン」においては、電力だけでなく、元々エンロンのフィールドであったガス・石油をはじめ、石炭、アルミニウム、パルプ、プラスチック、果ては信用リスク、天候、ネットワーク帯域幅、排ガス排出権に至るまで、あらゆる商品の市場をインターネット上に開設し、そのすべてでエンロン自体が売り手・買い手として取引を行った。
そのため、表面上の売上・利益は急激に拡大していった。

このエンロン・オンラインのアイデアとシステムは、稼働当時はもちろん、エンロン破綻後も高く評価されていた。
しかし、ビジネスモデルが手数料ビジネスではなく自ら売買を行うトレーディングであったにもかかわらず、これまで経験のない商品の市場にも積極的に乗り出していったために、もともとその市場にいたプレーヤーにいいように利用された面もあった。

折からのアメリカにおけるITバブルの波にも乗り、1990年代後半にはエンロンは革新的でなおかつ安定した成長を続ける超優良企業としての名声を確立していった。

1999年 CFOマガジン CFO賞(CFO Excellence Award)をCFOのアンドリュー・ファストウが受賞
1996年~2001年(6年連続) 『フォーチュン』誌「アメリカで最も革新的な企業」
1999年には、ヒューストン・アストロズの本拠地であるアストロズ球場の命名権を30年・1億ドルで買収し、「エンロン・フィールド」と名付けた。エンロン破綻後、2002年2月にアストロズは5百万ドルを支払って契約を解除した。

政治との関係
エンロンはロビー活動にも積極的であり、2000年の大統領選挙の年には共和党・民主党の双方に対して合計で20億ドル以上という高額の政治献金を行った。
特に、CEOのケネス・レイと地元テキサス州出身である共和党ブッシュ大統領やチェイニー副大統領との個人的な友好関係は有名であり、これらの献金や友好関係が電力自由化やキャッシュフロー会計などの連邦政府・州政府の政策に影響を与えたのではないかという指摘もある。
また、2001年には当時のパウエル国務長官がダボール発電所プロジェクトの事態収拾のためにインドに派遣されるなど、アメリカの外交にも大きく影響を与えた。

日本におけるエンロン
1997年、三池炭鉱跡地に火力発電所を建設する計画を発表していたが、これも株価操作のためで、首脳陣には実現する気などなかった事が判明している。

2000年5月にはエンロン・ジャパンが設立され、丸紅の発電関連部門などから人材を引き抜いて陣容を拡大していった。
さらに、「契約するだけで、大口顧客に対して在来の電力会社の電力料金より最大で10%安価に電力を供給する」サービスを発表したり、関係会社のエンコム(後にイーパワーに改称)と共に、青森県や山口県で火力発電所を建設する計画を発表した。
当時の日本の電力業界は「黒船襲来」として真剣にエンロンの日本進出に対する対応を検討した。
マスコミでも大きく報道され、その内容も電力自由化にともなう電力料金引き下げへの期待からおおむね好意的であった。

日本国内のエンロン関係会社はその後も発電所用地取得に向けて「基本的に合意した」などのセンセーショナルな発表を続けたものの、具体的な発電所建設やサービス開始を行うことなく、2001年のエンロン本社破綻の直前にすべて解散・閉鎖された。

破綻
2000年8月にはエンロンの株価は90ドルを超えた。
この時点で経営陣は「株価は130ドルから140ドル程度まではこのまま上昇するだろう」との見通しを提示し、アナリストもエンロン株を「ストロング・バイ」として推奨した。
そのため、年金基金などの堅実で知られる投資主体も、エンロンの株・債券をポートフォリオに組み入れていった。

カリフォルニア電力危機で経理上は大きな利益を上げたものの、この危機で2001年2月にパシフィック・ガス&エレクトリック社が倒産したため、実際には同社に対する数億ドルにも上る債権が回収不能となった。
2001年夏には、インド・ダボール発電所、アズリックス(水道事業)など、海外での十億ドル単位の大規模事業の失敗などが明るみに出始め、株価もゆるやかに下落を始めた。
2001年10月16日に発表された第三四半期報告では赤字が発表された。
それでもアナリストはこれをそれほど問題視しなかった。

2001年10月17日、ウォールストリート・ジャーナルがエンロンの不正会計疑惑を報じた。
株価はこの日から急落する。
証券取引委員会(SEC)の調査も始まった。
11月6日、同じヒューストンに本拠を置くパイプライン企業であるダイナジーが合併に名乗りを上げ、エンロンは崩壊を免れるのではないかとの観測もいったんは流れた。
しかし、SPEの特殊なスキームによってエンロンの株価が一定額を下回るとエンロン本体に巨額な債務が発生することが判明し、それがさらにまた株価を押し下げるなど、状況は加速度的に悪化した。
さらには数々の不正経理が明るみに出るに及んで、11月28日買収交渉は決裂した。
その結果、12月2日にエンロンは連邦倒産法第11章適用を申請し、事実上倒産した。
エンロンに投資していた投資家、ならびに自社株を401kプランに組み込んでいた従業員など多くの関係者が巨額の資産を失い、あるいは損失を抱えることとなった。
その中で、CEOケネス・レイ、CFOアンドリュー・ファストウ、COO(一時期ケネス・レイの跡を継いでCEOとなった)ジェフ・スキリングなど、会社の中枢にいた経営陣ならびにその家族は2000年夏以降の株価下落局面において大量のエンロン株を売り抜けており、インサイダー取引の疑いでSECの調査・訴追を受けることとなった。

連邦倒産法第11章の適用後、エンロンは各種事業を再編・売却した。
最も高く評価されていたエンロン・オンラインは、以後の事業収入の1/3をエンロンあるいはエンロンの債権者に分配するという条件で2002年2月にUBSウォ